積みあがった業務に辟易しながら隣からの雑談攻撃に耐えていたとき、不意に職場の空気が変わりました。
違和感の正体は直ぐに分かります。
少し近くで受付を行っている花子さんの声が、焦ったような、困ったような、怒ったようなものになっていました。
彼女の隣の席に座っている太郎さんに視線を向けると、なんとも言えない苦り切った顔で見つめ返されました。
そんな青春の甘酸っぱさなんて要らないから説明プリーズ。
モニタリング用のインカムを引っ提げて花子さんの近くに向かいました。
彼女の視界に入るように近づくと、私に気付いた彼女が口をへの字に曲げて頭を下げてきました。
まだお客様との会話は続いています。
直ぐに私から意識を離して会話に集中します。
「それは私どものお話なんでしょうか」
「どのような内容なのか教えていただかないと」
「課長は今はおりませんので、まずは私で」
そんな言葉に眉を寄せ、モニタリング開始。
相手はある程度年齢を重ねた男性のようでした。
特段早口になることもなく、けれど苛立ったようにストレスをこちらにぶつけてきているようです。
黙ったまま二人のやり取りを聞き、疑問に思った部分だけメモに書いて彼女に見せ、聞き取りをしてもらう時間が続きました。
要は、過去に私たちの会社とトラブルがあり、納得できていないからセンタで一番偉い人を出して欲しいということのようです。
どうしましょう、と花子さんが縋るように私を見てきました。
もちろん直ぐに私が代わることは可能ですが、それでは意味がないです。
お客様の要望にも沿わない内容ですし、今はまだ状況把握ができていません。
花子さんはもう10年以上勤めていて、安心して仕事を任せられる方です。
私の母親よりも少し若くはありますがかなりの年上。
お客様との衝突も少なく、彼女の言い回しに感心することもあります。
今回はこのまま花子さんに状況確認もしてもらうことにしました。
先ほどから男性は興奮しており、花子さんの質問を何度も遮って同じことを怒鳴っています。
そんなに弊社とのトラブルが腹に据えかねた内容だったのか、と普段なら青くなるところですが、でも、なんとはない違和感があるんですよね、彼の言動に。
まずは見極めるため様子見をします。
その間、花子さんが揚げ足を取られて二次クレームにならないようにもしないといけません。
ベテランさんではありますが、突発的な事態には少し弱いところもあるので、私が頑張ってフォローします、と気合いを入れ直します。
目標はたった1つだけです。
過去のトラブル内容を明らかにすること。
弊社のサービス内容に対してなのか、特定の人物や状況に対してなのか、それだけでも対応が異なってきます。
話を長引かせた挙句に別の部署ではないとお話ができない内容でした、となったらお客様は更にヒートアップすると思います。早めに対応部署の見定めを行いたいところです。
花子さんを通じて内容を確認しようとしますが、一向に話が進みません。
「お前には話したくない。一番偉い人を出しなさい。私が直接言いますから」
「恐れ入りますがご用件をお伺いしないことにはお電話を代わることもできませんので、教えていただけないでしょうか」
「だから、なんでお前に話さなければいけないんだ。早く変わりなさい」
「ご意見の内容によってお取次ぎする部署も異なりますので、まずはご用件を教えて頂けないでしょうか」
現実は、話を途中で遮られたり、叫ばれたり、罵られたり、色々としています。
入電から今まで、何も情報を得られていません。
本当に意見を持っている人なら、通常はここで明かしてくれるんですけどね。
彼は最初から一貫して「偉い人とお話したい」ということしか言ってくれません。
なんで文句つけたがりの人って「偉い」っていうフレーズを出したがるんでしょうね。
結論から言うとこの方は、単純に自分のストレスのはけ口を探していたようです。
偉い人に代われ、お前の会社に文句がある、ということを言えばオペレーターが動揺するのを見越し、わざとそういう言い方をする人のようです。
何度言葉を変えても、聞きだし方を変えても、この方は「偉い人とお話したい」というだけで、中身がまったくないため、中身の話に触れると自分がぼろを出さないため、執拗にオペレーターに言葉の暴力をふるってきます。
少しでも動揺してミスすると、そこを集中攻撃してくる人のようです。
実際、この電話を受けている最中、課長は会議中。
そしてそのままフロアには戻らず昼食に行く予定です。
受付者が「課長は不在です」といったことに対して「お前はさっき不在だと言ったんだ、会議中だなんて一言も言っていない、嘘つきだ! 信用できん! 課長を出せ!」と。
オペレーターが告げた「課長」という言葉を使って、今度はそこを責めてきます。
これはもう埒があきません。
自分に用件を明かしてくれないのなら、課長が戻ってから折り返しさせます、というていで男の情報を聞き出す方向に指示を変えました。
すると、個人情報だからお前には教えられない、と良く分からない理屈を放り投げてきました。
今更何を言ってるんだろうね、この人は。
実はナンバーディスプレイで男がかけてきてる自宅であろう電話番号は既にメモしてるのですが、それだけでは弱い。
つけつけとオペレーターの不手際に対する悪口を言うだけのおじさんに変わったので、再びメモ出し。
私ではお客様のご要望にお応えすることはできないようです。
申し訳ありませんが、私の上司に代わって対応をさせて頂きますので、よろしいでしょうか。
そう話をして貰ったところ、なんとこの男性、少し怯んだような呻き声と少しの間を空けて、駄目だ、と言い放ちました。
「は?」
思わず、隣で聞いていた私も、オペレーターも、目が点に。
最初から「偉い人を出せ」って言ってるのに。
役職なんて会社の中だけのことで、お客さんからしたら誰が対応しても同じ、というスタンスの私たちとしては、「偉い人」という言葉で応対を代わるのは本当に理不尽なんですよ。それに、この人の望みをかなえる、自分が今話をしている人よりも偉い人、という人に代わろうとしているのに、なんで断るんだよ。
もちろん、その理由は直ぐに知れました。
ただ単に、弱い立場のオペレーターをサンドバッグにしたいだけです。
こちらから汚い言葉を返せないのを分かっていて、反撃されないのを分かっていて、オペレーターとの話を続けたいだけです。
本当に胸糞悪いおじさんです。
――できればお客さんの許可を取ってから代わりたかった所ですが。
ちょっと、強引に保留にしてもらい、私の電話に繋いで貰いました。
内心ムカムカしています。でも言葉はちゃんと選ばないといけません。録音されてるんでね。
「突然申し訳ございませんが対応を代わらせて頂きました、○○と申します。いつもお世話になっております」
「え?」
保留解除されたらいきなり対応者が変わっていることに少し驚いている様子の男性。
少し間があったので、その勢いのままガンガンいきます。
ちなみに私は超早口です。本当のお客様応対ではダメだよ、と何度も先輩たちや先生たちから注意を受けてきました。
言葉のキャッチボールを無視した弾丸説明は苦になりません。
そう、オペレーターとしてダメな奴です。
でもこれ、今回ぐらいの嫌がらせおじさんには丁度良いんですよね。
「A子の上司です。ご要望頂いておりました『課長』の所在をA子が確認していたときに内容も聞いておりましたが、私は別のお客様と対応を行っておりましたので、お待たせすることになり申し訳ありません。課長はあいにくと会議に出ておりこのフロアには不在です。私が責任を持って対応を行うよう指示されております。何度も変わって欲しいとご要望されていたようですが、改めて、どのようなご用件かを教えて頂けますか」
「お前は課長じゃないんだろう。なら話すことは何もないな。課長を出せ」
「私どもは個人ではなく会社として対応を行っております。お客様のご意見には社内で確認を行ってから回答を行いますので、先ほどの者でも私でも、課長であったとしても、最終的な弊社としての回答は同じです。電話を替わるたびにお客様に何度も同じことを尋ねてしまいますので、私がお客様のご用件をお伺いいたします。ご用件を仰って頂けないのであれば弊社としてもこれ以上の対応はできかねますので、申し訳ないのですがお電話を切らせていただきます」
もちろんお客さんが激昂することは織り込み済みです。
案の定、罵詈雑言が飛び出しますが、語彙が少ないんですよね。私も同じですけど。
誰でも思いつくようなことしか言わないし、ただ大声で怒鳴るだけ。
最終的には私が何を話そうとしても、
「お客様の「あー」」
「そうし「あー」」
と意味を為さない声で遮るだけのおじさんになりました。
時間の無駄。
本格的に、このおじさんは用件がないのに電話をかけてくる迷惑電話だと認定。
規定通りこのまま切ることはできるんですが、この人の口から電話番号や名前を言わせたいなぁ、と欲が出てしまう私。
最後に「ではこうしましょう。課長が戻りましたら連絡させるので折り返しのお電話番号とお名前を仰ってください」と伝えてみますと、案の定「誰がお前なんかに個人情報を教えるかバーカ」と言って、切られてしまいました。
やれやれ。
――恐らくそのおじさんは、よっぽど暇だったのか気に入ったのか、何度も電話をかけてくるようになりました。
電話が入ってくるセンタは自分がいるセンタだけではないんですが、噂があっという間に広まり、他のセンタでも要注意人物で、揚げ足取りされないようにね、と回覧されることになりました。
オペレータたちが対応方針に則ってそのおじさんと対応している間、同時進行で顧問弁護士と対応を協議。
声だけでAさんだと特定して切るのは危ういので、まずは相手の名前を入手すること。
そして、応対の中で本当の用件がもしあった場合は、そのまま他の対応と同じように進めること。
などなどを前提として、対応をしていくことになりました。
さてこの人、どれだけ電話をかけまくっているのか分かりませんが、対応方針が出てから次の日には、もう私が受け持つ担当のオペレーターに着信しました。
最初から「お前のセンタとトラブルがあったから課長と今すぐに代われ」と怒鳴りつけてきます。
このとき電話を受付したのは、超鋼の心臓を持つおばちゃんオペレーター。
「いきなり課長と代われっていうのはないですね~」と、いきなり出鼻を挫く一言です。
普段は「その応対改めて」と諫めるところですが、今は目をつぶりましょう。
「何かあったんです?」と聞くと「個人情報だから教えん!」とお決まりの言葉が返ってきました。
もちろん動揺するオペレーターではありません。
「教えて頂けないと替われないですね。お客様、お名前は何です?」と突っ込んで聞いてくれました。
普通の応対だったらNGの応対ですけど、もうこのお客さんのことは知ってるので、グッジョブです。
「俺の名前を教えないと回答できないのか!」
「そうです」
「名無しの権兵衛だ!」
「名無しの権兵衛様ですね。それで、ご用件は何です?」
いやもう、コントだよね、これ。
本当に鋼の心臓の持ち主です。
目配せされたので私は隣に控えて応対を聞いていたんですが、この応対は他のオペレーターに聞かせられないわ……と頭を抱えながら、でもグッジョブ、と彼女に任せました。
その後も何分かやりとりが続いたんですが、他のお客様の待機時間が長くなってきたのが分かったので、早々に切り上げるよう伝えました。
「ご用件を仰って頂けないのなら電話を切らせていただきますね。
それでは、名無しの権兵衛様、失礼いたします」と。
相手がワーワーと何やら叫んでましたが、問答無用でブチっと切断する彼女。
うん、このお客さん以外は本当にやめてね。
そして、余韻を引きずることなく次の応対に淡々と入るオペレーター。
心強いわー……
それから数日して、業務妨害と判断されたおっちゃんには、顧問弁護士から文書による警告が送られたようで、ピタリと入電しなくなりました。
誰とも話できなくて寂しかったのかなー。
普通に犯罪行為だからやめてねー。
